親鸞会に興味がある場合には、親鸞会に関して知ることが重要です。
この時には、浄土真宗や親鸞会の始まりとなっている親鸞聖人のことをよく理解しておく必要があります。親鸞聖人に関して知ることで、浄土真宗のことが理解できるだけでなく、親鸞会はどのような考えで活動をしているか理解できます。
そこで、まず親鸞聖人がどのような人なのか、そしてどのような教えを説いたのかを理解することから始めましょう。

仏教を民衆に広めることからスタートする

親鸞聖人は、鎌倉時代に生まれた仏教の僧の一人で浄土真宗の開祖者になります。親鸞聖人が有名なのは、多くの人に仏教を民衆にうまく教えたからと言えるでしょう。仏教は鎌倉時代の段階にはすでに日本に伝わっていましたが、完全に庶民にまで浸透しているとは言えない状態でした。なぜなら、仏の教えを本格的に知ろうとするならば、かなりの時間がかかってしまうからです。

当時の人々は、現代の人々とそれほど変わりなく、生活の糧を得るために様々な雑事に追われており、仏の教えを学ぶ余裕はほとんどありませんでした。今よりも食糧事情が悪かった当時において、生活の糧を得る行為は生命を維持するために重要といえるわけです。その中で、ゆっくりと仏教の教義に参加している場合でないことは理解できるでしょう。そのため、いくら仏の教えが素晴らしかったとしても、いつまでたっても仏の教えがなかなか民衆に広がらなかったわけです。そこで、親鸞が考え出したのは念仏に関することです。

念仏を利用して悪人往生を説く

ある日、親鸞聖人は法然と呼ばれている有名な高僧がいることを聞きつけました。そのお坊さんは、念仏と呼ばれる画期的な方法で仏教哲学を多くの民衆に示そうとしたわけです。それまで念仏と呼ばれるものは、深い瞑想に入り心の中に仏の姿を浮かべることを意味していました。しかし、この方法は修行を積んだ一部の僧ならば可能ですが、民衆がそこまで行うことはまずできません。そこで法然は、「南無阿弥陀仏」と一言唱えるだけで自分が救われると考えるようにしたわけです。この方法ならば、それほど時間がかかる訳ではなく、忙しい民衆でも簡単に仏教に入り込むことができたわけです。

その話を聞いた親鸞聖人は法然の弟子になり念仏に関して詳しく学ぶことになります。その後親鸞聖人によって考え出されたのが悪人往生と呼ばれるものです。悪人往生とは、善人ですら念仏をとなえれば極楽浄土に行けるのだから、悪人ならなおさら念仏を唱えれば極楽浄土に行けるに違いないとする考え方です。この考え方は、たちまち日本全土に広まることになりました。

他力本願の考え方を理解する

親鸞会でも教えている通り、親鸞聖人は悪人往生の考え方の中で他力本願の考え方も同時に広めました。他力本願といえば、自分では努力をせず他人の力に頼ることを意味していると考える人がいますが、浄土真宗における他力本願は自分の力でどうにかするよりも、自然の力に任せようという意味になります。

親鸞聖人は、自分の力で生活をコントロールしている人よりも、自力で生活をコントロールできない人が多いことを伝えています。そのため、悪い人がおこなう悪いことは自力ではなく他力といえるわけです。悪人往生も、悪い人自体は自分の意志で悪い事をしているのではなく、悪いことをせざるを得ない環境に生まれたと考えています。例えば、貧乏で食べるもののない家で育った場合、他人の畑から野菜などを盗む悪人もいますが、これは自分の力ではどうしようもない部分と考えるわけです。もし悪人が善人の家庭に生まれたとしたら、まっとうな道を歩いたはずと考えます。このように、人間の努力だけではどうしようもない部分があり、そのような他力の場合でも極楽浄土に導く道を多くの人に説きました。

今を生きることに集中する

親鸞会の考え方の元になっている親鸞の考え方は、悪人往生や他力本願以外にも今を生きることを大切にすることが説かれています。人間は、過去のことや将来のことばかりを考えており、今を生きていることに対してあまり関心を払っている人はいません。現代人でも、老後の心配やまだ起こってもいない将来のお金の不安などを抱えながら暮らしている人がほとんどです。

そこで親鸞は生きている今に集中するべきと多くの人に説法をしました。なぜそのようなことを説明するかといえば、人間はいつか必ず命がなくなるからです。命がなくなりそうな時に将来のことを考えても仕方ありません。将来の心配をしている人や過去にあった嫌な事ばかりを考えている人は後悔するだろうと説いています。それよりも、今現在を生きることに集中すれば何よりも毎日満足感を得ることができると人々に教えました。これにより多くの民衆は、心の中で不安になっている気持ちやイライラなどを抑えることができるようになったわけです。

まとめ

親鸞の教えの一つは、他力本願になります。他力本願で念仏をとなえれば、極楽浄土に行けると考えました。
ここで言う他力本願とは、他人に任せっきりで生きるという意味ではなく自分の意志ではどうにもならない人生だからこそ阿弥陀仏に念仏を唱えてすがって生きるように教えたわけです。
それ以外でも、過去や未来に縛られて生きていくのではなく、今現在に意識を集中することが大事だと民衆に説きました。